火の鳥14巻Intermissonより
ここで手塚治虫氏はこう説かれています。
なにか人間の想像出来ないエネルギーが生き物という有機物質にだけ吸収されて、
それが「生きる」という現象になるのかもしれないと・・・子ども心に思いました。
生きものが死ねばそのエネルギーははなれて、また空中にちらばる。
あたらしい個体がうまれればまた吸収される。
そのときまえの生きもの肉体に大きな影響をうけていれば・・・
それが夢や現実にナゾの思い出としてあらわれるのじゃないかと考えました。
と。。さすがに目の付け所が違うなと思いました。子ども心にそう思っていたなんてね。こりゃ凄い発想です。天才という言葉がちらつきます。
そこで私はこう思いました。
みな成仏するのだ。生命はつながり、循環し、四散もする。生も死も死後もそうであって、前世の記憶を持つ者が輪廻を唱えた。それは中心になった生命の核が再び現れたのであって、決して100%同じものはないのだ。
だから安心していい。信じていい。人はいつか、いや生命はいつか循環を終え成仏する定めなのだ。それは今かもしれないし、宇宙が滅んでも止まないかもしれない。
でもでも信じていい。一回死ねば皆成仏する。そこで生は終わり、二度と同じ生は無い。
それを成仏と呼んでもいいのじゃないだろうか。
世に一つ害虫と呼ぶ染み二つ
稲穂は垂れるいのち流して