花鏡の幻影日記

徒然日記です。

嘘ついた僕はこころに嘘ついた

曲がった小春知らぬまつむし

 

ふと考える。こんな醜いこころの嘘で笑ったことあったかい?って。

中也の、「汚れつちまつた悲しみに」のフレーズを超えることは出来ませんね。やはり。。

私は藤の花を見たことが無かった。去年は僅かに地面に落ちた花びらを拾い、とうに散ったのを後に知ることになる。実はこれからだろうと何度も足を運んだが結局見れなかった。去年は桜が早く咲いて散ったように藤もそうだったのだろう。

今年は桜の頃から気に掛け、見る準備に余念が無かった。もっとも桜の次という位置づけではあったが…

今年は見れた。咲く前の枯れた蔓から新芽が出たとき驚きがあり、そして徐々に咲いて行く藤。

 

七分咲きぐらいだったろうか、二時間ほど心ゆくまで見れた。その次の日行くとマルハナバチが盛んに飛んでいた。そこからは何とも言えぬ匂いが立ち込め、初めて藤の花の匂いを知った。ただ花そのものはハチが気になってよく見れなかったが…

それから何回も何時間も見た。私が最後に美しく見れたのは丁度嵐の日だった。新しい蔓が二本伸びて竜のようにうねり暴れていた。あまりにも強風なので見るのを止めようかと思ったがじっと我慢して見た。藤棚に整然と垂れ下がっている花たちには興味が湧かなかった。それよりも棚のうえで雑然と咲いているものに興味がゆく。轟々ともブゥオーブゥオーとも吹く強風が花を揺らす。なぜ雑然さに惹かれるのだろう、そこは自分でも分からない。だが上品に垂れるだけの花には興味はない。

次の日は雨だったが見に行くチャンスは一度あった。だが行けなかった。二日雨が続いた。もう花はほとんど残っていなかった。

 

私は思う。蜂も嵐も藤の真の姿を教えようとしたのではないか。ただ咲いているだけではつまらない。

自然のありのままの姿、匂いも風も。それを一年で見ようとしたのが間違っていたのか。でも全てを感じさせてくれたように思う。

やっと見れた藤。そして最後であろう春。私の目にはしっかり焼き付いている。新芽と共に丸く固まり雑然に咲いていた藤の姿が。

 

この春が最後の春と知るゆえに

去り難きかなふぞろいの藤